シェラトンテルアビブから歩いて10分と掛からない所にある記念館です。しかも無料w
イスラエル国旗もはためいている↓
DAVID BEN-GURIONの家です。
イスラエル建国の父、ベングリオンの家。しかもこのベングリオンも頭にDAVIDが付くようだ、デイビッド・ベングリオン。やっぱりデイビッドが頭に付くのはイスラエルの特徴なのかな??初代のデイビッド王から名前をもらうのが流行っているのか??
ちなみにこの辺も世界遺産らしいですw
「テルアビブの白い都市」って名前で登録されてるらしい。
まあ確かに白い壁の建物多いけどね。世界遺産って最近乱立して過ぎてて、、、って感想です。歴史的な背景もあったりするんだけど、エルサレムとかペトラを見てきた後でこの普通の建物が世界遺産と言われてもねw
まあ認定するのでユネスコなんで、ユネスコがOKと言えば世界遺産にはなれる訳で、そのユネスコも結局慈善団体とか言いつつ、世界のパワーバランスには順応しているハズだよね。って事はアメリカのユダヤパワーに忖度したのでは?と思わなくもないw
文句ばっかり言わずに中に入って見ると、ベングリオンが読んだ?蔵書の数々↓
ベングリオンと孫だろうか??↓やっぱり水道橋博士に似ているwでも、いい写真。
自宅の書斎なんだろうか。
ベングリオン空港の銅像とは少し違ったw
イスラエルの建国の父、ベングリオンさん。シオニズム(世界中にバラバラになっていたユダヤ人が祖国へ戻る運動)を先導し、イスラエルを独立へ導いた人。
独立宣言と同日に周囲から攻め込まれるという逆風を押し返して独立勝ち取った。
と言うのがイスラエル側の主張。一方でパレスチナ側からしたら面倒なおっさんで勝手に人の住んでた土地に世界中からユダヤ人を連れ戻して独立宣言しやがって、、、
でも、これはイギリスが中近東をうまく回すために、イスラエルにもパレスチナにも独立させてあげるよ、と二枚舌外交をさんざんやって来た挙げ句、第二次大戦で疲弊してるから植民地をかまうような余裕がなくなったので全てを放ってしまったのが原因。
都合良くお金が上がってくるような香港は持ち続けたのに、この辺は色々きな臭かったしテロ攻撃されたからオメオメと逃げ帰って来たという流れ。
イギリスが何もせずに逃げ帰ったから、本来ならばアラブのど真ん中にユダヤの国ができるなんて難しかったんだろうけど、アメリカが全面にイスラエルを支援することになり、超絶アウェイの場所にまさかのユダヤの国ができることになった。
第一次中東戦争で周りの国から袋だたきにあってる間に後に首相になるメイヤっておばちゃんが買い物袋を持ってアメリカへ。
在米ユダヤ人の力を借りて(メイヤさんもアメリカで育った)、買い物袋に戦闘機とか戦車と戦費を持ち帰ったらしい。結局おばちゃんが買い物袋に入れて帰って来た武器で周りのアラブの国を蹴散らしたんだから、まあアメリカの力はすごい。
結局イギリスが弱すぎてやる気なかったら、戦後の世界のリーダーアメリカを後ろ盾にしたイスラエルが漁夫の利を得た格好。イギリスのポンコツっぷりのせいでパレスチナ問題が2020年までも引きずる事になったのだ。迷惑な大英帝国です。
香港の問題も元はと言えば香港はイギリスの植民地だった訳だしね。
ベングリオンさんは今の世界をどう見てるんでしょうか。
説明が書いてなかったから何故あるのか分からないけど↓
日本に来られた事があるのか、政府関係者が贈ったのか。まさか日本人形をテルアビブの地で見るとは思わなかった。
こじんまりしてるけと整然としたベングリオンの寝室↓
かつての宗主国イギリスの首相チャーチルと、ベングリオンさん↓
このチャーチルの微妙な顔が何とも言えない。ベングリオンを直視したくない気持ちがあるからなのか視線をカメラに移しているのだけど、何とも目が微妙・・・
ベングリオン:「あなたのせいでうちは大変なんですよ、、、、」的な事を心で思っていたのだろうか。
1961年と書いてあるからもうチャーチルは首相を退任した後。
チャーチル:「そんな昔の話をされても、、、ちょっと記憶が・・・」みたいにうまく受け流せないか考えていたのかも知れない。
「ベングリオンの家」を訪問して、戦後の難しいパワーバランスの中にイスラエルという国が翻弄されて来たのがよく分かった。しかも無料です!!!
同時にやっぱりアメリカのユダヤマネーがいかに強かったのかも分かった。
国土の周りは敵か砂漠か海しかなく、資源も出ない国がこんなに先進国になってるのだから。まあその代償としてアメリカの手先と思われてる訳で、何か中東で有事が起きると真っ先に標的にされるんだけど。
あ、イランが怒ってるから早々に脱出しないと、、、標的にされてるのでw