ノーサイドです。
NO SIDEです。
この日本のW杯の盛り上がりをまさか20数年前に予言したのだとすると凄いっす。
まあ「私が売れなくなるのは都市銀行が潰れるような世の中」、って予言して、実際北海道拓殖銀行が潰れるあたりで売れなくなってて流石だと思いました。
とりあえず聴いてみましょう、ノーサイド。
とりあえず歌詞を↓
彼は目を閉じて枯れた芝生の匂い深く吸った。
長いリーグ戦締めくくるキックはゴールをそれた。
肩を落として土を払った。
緩やかな冬の日の黄昏に。
彼はもう二度とかぐことのない風深く吸った。
何をゴールに決めて何を犠牲にしたの?
誰も知らず。
歓声よりも長く興奮よりも速く走ろうとしていたあなたを少しでも分かりたいから。
人々がみんな立ち去っても私ここにいるわ。
同じゼッケン誰かが着けてまた次のシーズンを駆けてゆく。
人々があなたを忘れてもここにいるわ。
何をゴールに決めて何を犠牲にしたの?
誰も知らず。
歓声よりも長く、興奮よりも速く走ろうとしていたあなたを少しでも分かりたいから。
人々がみんな立ち去っても私ここにいるわ。
ラガーマンに恋する女子大生の歌、と言えばそれまでなのかもしれないが、とにかく歌詞からすぐに光景が思い浮かぶユーミンの真骨頂とも言える歌である。
まず、最初の「彼は目を閉じて枯れた芝生の匂い深く吸った」。
聴いてる方も目を閉じて聴きたくなる。
「長いリーグ戦締めくくるキックはゴールをそれた」大学のリーグ戦の最後、このキックで試合がひっくり返ったのかと言うとメロディ的には結局負けたのだろう。でも、最後の見せ場だったのに、というこの女の子の叫びが聴こえてきそうな悲壮な歌詞。
「緩やかな冬の日の黄昏に」。
緩やかな冬の日の黄昏。大学最後の試合に負けた敗北感?切なさ?を非常にうまく表現してる。恐らく雲一つなく真っ青な空の下、気温も多分かなり低いのだろう。
そんな緩やかな日、でも真冬だから日が短いのでもう黄昏。「選手としても黄昏ね」っていくら毒舌のユーミンでもそんな意味は含まれてないのだろうが。
「何をゴールに決めて何を犠牲にしたの?」
これは彼女として彼氏を責めてるのか、それともまだそういう関係じゃないから問うてるのか。深いですね。
「歓声よりも長く、興奮よりも速く走ろうとしていたあなたを少しでも分かりたいから」
この比喩、うまいですね。最近完全俄かラグビーファンで見てると集団から抜けて、トライに向けてひた走る時、まさに歓声よりも長くって表現がマッチしている。やっぱりこの辺の作詞力、比喩表現はより脱帽ですね。
最後に「人々がみんな立ち去っても私ここにいるわ」、一人観客席に残された、いや残ったヒロイン。見た目はユーミンじゃない絵の方がいいけどw
その後またAメロに戻るのでなく、畳み掛けるようにBメロで「同じゼッケン誰か着けてまた次のシーズンを駆けてゆく」。「人々がみんなあなたを忘れてもここにいるわ」
一回目に聴くと、今のあなたが素敵過ぎるからその光景は永遠、たとえあなたと同じゼッケンを着けた選手が来年駆けていたとしても。
って解釈になるのだけど、二回目に聴いてみると、負けたばかりなのにもう来年の事考えてるw意外とこのヒロインはしたたかなのかもしれない。負けた直後って、過去を振り返って、「一生懸命練習してたのに、負けて悔しいよね」とか遠い目で思い出すのが普通なのに、もう来年の事考えてる。別れる描写も別れた描写もないけど、あっさり勝ったチームのスーパーエースに乗り換えてたりしてwとか思わなくもない。
もしそんなしたたかな女の子なら「ノーサイド」が試合に負けた男に対しての試合終了という意味なら身の毛もよだつ。
「なんかこの人パッとしないなー」と思ってた矢先の敗戦だったんだとしたら、ヒロインにとっては渡に船だったとしたら。
いつもながら奥が深くてほんの少しブラックを混ぜてるユーミンの歌詞には脱帽です。
今、絶好調の日本チームのエース達の裏にはこういうしたたかな女性とノーサイドを突きつけられたかわいそうな男もいたのかもしれない。
いやー、実際見に行くまではこの曲の意味があまり分からなかったけど、見てから見ると全然印象が違う。TomigayaTravelの読者で俄かラグビーファンの方、一度聴いてみてはいかがでしょうか。