ノヴォデヴィチ修道院の裏手にある墓地へ。墓地で何するんでしょ??と思いながら墓地へ。かなり広くて大きな公園にたくさんのお墓がある。その中でひときわ目立ったのが↓
エリティン大統領のお墓です。無茶苦茶大きい石にロシア国旗が描かれている。
やはり初代のロシア大統領なだけあってVIP待遇の模様。
エリティンがあったのでガイドさんに聞いてみた。
ティライミ:「ゴルバチョフもこの墓地にあるのですか?」
ガイド:「まだ生きてるわ」
ティライミ:(あ、そうなんだ、てっきりお亡くなりになったものだと・・・)
ガイド:「ちなみに奥さんの墓はここよ、本人は今ドイツに住んでる、でもね、全然人気ないのよ、あの人は。」
ゴルバチョフ夫人のお墓↑
ティライミ:「ちなみにフルシュチョフは?」
ガイド:「見たい?もっと奥のほうにあるけど」
ティライミ:「いえ、大丈夫です、、、」
ちょっとこれでロシア(+ソ連)の大統領の人気の序列が分かった気がする。
ちなみにここに埋葬されていない歴代大統領、書記長は全員赤の広場に埋葬されているとのこと。
スターリン、レーニン、ブレジネフ(チーム赤の広場)
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エリティン(ノヴォデヴィチ修道院の一等地にある墓)
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フルシュチョフ(ノヴォデヴィチ修道院の端っこ)
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ゴルバチョフ(多分そのままドイツに埋葬される??)
西側とか子供の頃のイメージだとゴルバチョフはソ連を解体して悪名高いKGBとかいわゆる共産主義の権化を潰した英雄的なイメージで、そこから東西ドイツの統一や核開発競争の鎮静化までできた功労者って位置づけだけど、本国では全く違うよう。
フルシュチョフもスターリンの後で書記長になったけど、冷戦中にフロリダのディズニーランドに訪問したりしてデタントという米ソの緊張緩和に尽くした。
キューバ危機の時も核戦争を回避し、西側と融和姿勢を示したおじさんってイメージだけど、結局失脚してしまい、年金生活だったらしい。
後任のブレジネフは逆に対西強硬論者でアフガン侵攻したりして米ソの関係を悪化させたけど、国内の人気はそれなりにあるらしく赤の広場に埋葬されているらしい。
結局ロシアでは対米強硬論者、よく言えば強いソ連とかロシアを演出できた人は英雄扱いされるけど、現実主義政策論者は人気がないらしい。スターリンとかどんだけソ連国民を殺戮したか分からないし、政策の失敗で餓死者もたくさん生んだはずだけど、人気はあるらしい。戦勝の英雄みたいな。なかなかに不思議な序列ですが、これがロシアの人気投票のようだ。そうするとプーチンも赤の広場は確定なのだろう。
何かソ連の歴史の復習みたくなったけど、他にも有名バレリーナのお墓↓
作家??だった気がする↓
本気でこのお墓回るとなると半日くらい掛かるんじゃないか?と思うほど広かった。
でも、広いのはいいんだけど、何より困ったのがキリル文字。
ガイドさんが説明してくれるんだけど、文字と言葉で合わせてなんとなく頭に入るんだけど、キリル文字は全く意味が分からないし読めないので困った。
次はモスクワが一望できる雀が丘へ向かう。
<その45へ続く>